週末デッドエンド

勉強と日記と怪文書

2021-06-24 Thu. — 数学の授業のことと場面緘黙症のこと。

日記

断酒12日目。遅寝遅起き。寝付けずに遅寝して、14時ぐらいに起きてしまった。

日記を書き始めて思ったのだが、何かネタがないと日記は書けない。当たり前なのだが、エピソードがないと雑談はできない。出かけることも少なくなり、人との交流も希薄になった今日このごろ、日記に残すべき出来事が何もないので、読書録のようになってしまう。もう少しブログらしくしたい。

数学の授業のこと

今日は高校生に命題論理を教えていたのだけど、「『または』ってどういう意味ですか?」と聞かれて答えに窮した。命題の否定とか対偶とかを形式的に取り扱っているうちに単に混乱しただけだとは思うのだが、あらゆる手を尽くして解説した。

しかし、その場で彼を納得させるような説明は可能なのだろうか。集合のベン図を書いたり、具体例を挙げたりしたのだが、この説明で納得できるならそもそも「または」の意味も直観的に理解できるのではなかろうか、などと考えた。自分のしている説明は「1 + 1 = 2」をペアノの公理から説明しているのに似ている。公理的な説明で納得できる人はもうその直観を備えている人だと思う。

いろいろ説明してはみたが、最終的に「問題をいくつか解いて、時間が経てば腑に落ちると思うので、来週の授業のときまだ疑問に思っていたらまた質問してください」と告げた。

場面緘黙症のこと

YouTubeでたまたま「場面緘黙症」という症状を抱える方の動画を見た。

www.youtube.com

家庭ではコミュニケーションに問題はないが、学校や職場などでは発話できないといった症状のことだ。

塾にも、場面緘黙だと思われる生徒がいた。例えば、「試験範囲はどこまで?」といった質問に沈黙するので、Yes/Noで答えられる質問を繰り返して答えを絞り込んでいくようにコミュニケーションをとっていた。「場面緘黙症」という症状名は知らなかった。家庭での様子はわからないが、塾の場面では発話せず、声を聞いたことがなかったので、おそらく場面緘黙症だったのだろうと思う。

周囲の人はどのようにコミュニケーションをとるべきなのだろうか。そもそも会話を試みることで緊張を強いてしまうのだろうか、しかし一切話さなければ、孤独感を増すことに繋がる。調べてみると、場面緘黙症の人の声を集めたNHKのページがあった。

www.nhk.or.jp

「こころの支えになったこと」には、このようなものがある。

緘黙当事者が安心出来る居場所を  /chocoさん、40代(当事者)

無表情で殆ど返事も出来なかった私に、他のクラスメイトと同じ様に普通に気さくに話しかけてくれる子がいて、それはとても嬉しかったです。

ほんの小さな一言や、ちょっとした事が、当事者にとってはもの凄い救いや励みになる事も多いと思います。

場面緘黙症」と名前がついていようと、普通の人間に接するときと同じく、相手の気持ちを尊重して、適切な距離感でコミュニケーションをとればよいようだ。