週末デッドエンド

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2021-06-25 Fri. — 「人新世の『資本論』」の批判的読書メモと、引用元のジェイソン・ヒッケルについて。

読書

人新世の「資本論

以下、「本書」と書いたら「人新世の『資本論』」のこと。

第1章の冒頭、ノーベル経済学賞を受賞したノードハウスの論文 “To Slow or Not to Slow: The Economics of The Greenhouse Effect” に対して「一部の環境学者から批判の声が上がった」としている。この「批判」として引用されているのはジェイソン・ヒッケル(Jason Hickel)という人類学者の以下の記事だ。

foreignpolicy.com

ヒッケルはノードハウスの仕事を批判しているのだが、自分の主張を正当化するために論文から数値を恣意的に引用して曲解し、ノードハウスが書いていないことまであたかも本人がそう主張していたかのように述べている。

So, Nordhaus’ career has been devoted to finding what he calls a “balance” between climate mitigation and GDP growth. In a famous 1991 paper titled “To slow or not to slow,” he argued firmly for the latter option: Let’s not be too eager to slow down global warming, because we don’t want to jeopardize growth.

だから、ノードハウスのキャリアは、気候変動の緩和とGDP成長の間の「バランス」を見つけることに捧げられてきた。1991年の有名な論文 “To slow or not to slow” において、彼は後者の選択を強く主張している:地球温暖化を遅らせることに躍起になるのはやめよう、なぜなら成長を妨げたくないからだ。

The Nobel Prize for Climate Catastrophe – Foreign Policy

ノードハウスの元論文では無論こんな過激なことを主張していない。元論文では(結論で繰り返し注意されているように)非常に単純化した仮定のもとに、温室効果ガスを○○%削減することに経済的には××億ドルのコストがかかると複数の計算結果を述べているにすぎない。

さらにヒッケルはこう述べる。

Using this logic, Nordhaus long claimed that from the standpoint of “economic rationality” it is “optimal” to keep warming the planet to about 3.5 degrees Celsius over preindustrial levels—vastly in excess of the 1.5 degrees Celsius threshold that the IPCC insists on.

このロジックを使って、ノードハウスは長らく、「経済的合理性」の観点から、産業革命以前のレベルより約3.5℃高く地球を温暖化させ続けるのが「最適」だと主張し続けてきた。これは、IPCCの主張する基準を1.5℃という基準を大幅に上回る。

The Nobel Prize for Climate Catastrophe – Foreign Policy

ここでヒッケルが言及しているノードハウスの「主張」は「気候カジノ」の以下の記述だ。

ここでは今までの議論を反映し、3.5℃で急上昇する簡略化された臨界点損傷関数を用いる。このケースでは、臨界現象によってもたらされる損害額を、3.5℃の段階で世界総所得の0.5%と仮定する。3.5℃を超えると、臨界点損害額は急激に増加する。損害額の世界総所得に対する比率は、4℃で9%、4.5℃では29%まで急上昇し、その先も上がり続ける。ただ、これらは我々の想像を超えた前提である上に、損害の実験的推定には確かな根拠もないため、あくまで臨界点が費用便益分析にどう影響するかを示す一つの例として捉えてほしい。

気候カジノ 経済学から見た地球温暖化問題の最適解

3.5℃という数値を用いて損害額を計算するが、確かな根拠もないので一例として捉えてほしいと明確に注意しているのにも関わらず、「ノードハウスは3.5℃が最適だと主張し続けてきた」というヒッケルの記述はノードハウスを不当に貶めるものだろう。

また、ヒッケルは「科学者や環境学者は○○だと主張している」と“主張”しているが、全く引用が示されていない。どの科学者がどのように主張していたのか参考になる文献が記載されていない。「一部の環境学」では常識になっているのかもしれないが、誰がどのように主張しているのか記載しないとわからない。

本書の1ページ目、最初に引用しているのがこのヒッケルだ。地球温暖化による破滅的な未来を語り、不安を煽り、連帯を求めて、資本主義打倒を叫ぶが、直ちに経済的発展をやめることはできない。確かに地球温暖化は食い止めなければならない課題だが、資本主義にだけ責任があるので捨て去れという理想論を述べているだけだ。あちらを立てればこちらが立たない。人々の利害が絡むという現実があるのだから、本気で世界を幸福にしたいならノードハウスのように実現可能な計画を立案するべきだろう。

本書の著者やヒッケルは、単一の主張に責任を押し付ける傾向があるように思う。環境問題や貧困はすべて資本主義という考え方に起因するものだとして煽情的に議論を進めていくのだが、世界の貧困や地球温暖化は何か一つだけの原因に還元できる問題ではないはずだ。自然科学でさえ一つの方程式で説明するなどということはしない。議論領域や階層に応じて様々に理論を使い分けて世界を理解しようとする。より複雑で捉えがたい現実世界の貧困問題や地球温暖化について議論するのに、一つの思想や立場だけで押し通すのはそれこそ現実的ではない。

参考文献

Hickel, Jason (2018). The Nobel Prize for Climate Catastrophe. Foreign Policy, https://foreignpolicy.com/2018/12/06/the-nobel-prize-for-climate-catastrophe/ (2021年6月25日閲覧)

Nordhaus, William D. (1991). To Slow of Not to Slow: The Economics of The Greenhouse Effect. The Economic Journal, vol. 101, No. 407, pp. 920–937.

Nordhaus, W. (2013). The Climate Casino: Risk, Uncertainty, and Economics for a Warming World. Yale University Press. (ウィリアム・ノードハウス(著), 藤﨑 香里(訳) (2015). 気候カジノ 経済学から見た地球温暖化問題の最適解 日経BP社)

日記

断酒13日目。2時寝10時起きくらい。寝付きは悪かった。

「人新世の『資本論』」という本を買ってみたので読書メモをつけてみることにした。だが、1ページ目からやたら扇動的な表現が続くので引用元まで調べてみたが、引用元のジェイソン・ヒッケルがそもそも、経済学者の言説を拡大解釈して批判するというスタイルの脱成長論者だった。

本書も、「SDGsは大衆のアヘンである」など、コピーライティングスキルはあると思うが、資本主義だというだけで猛烈な勢いで叩く強硬(なかば横暴)な姿勢がどうしても目につく。調べたことを調べた範囲で記録することにした。

資本主義とかグローバル化というのは、誰かが広めた思想ではなく、知能を持った生命体が長く繁栄すればおのずと行き着く自然現象のようなものだと思う。自分の身や自身の属する群れの存続を第一に考えれば、知恵を活用し力を得て群れを拡大するのは至極当然のことだ。自然現象を悪だと断じても詮方無い。河川の氾濫を抑えるための治水工事のように、あるいはダムを作り定期的に放流するように、集中した富は可能な範囲で再分配するなどするしか対処の仕様がないだろう。