週末デッドエンド

勉強と日記と怪文書

2021-11-12 Fri.–2021-11-13 Sat. — 少年革命家ゆたぼんの将来を無駄に案じて無駄に書き連ねた無駄な日記。

日記

断酒115日目。今日は甥っ子が熱を出したので看病していた。

2021-11-12 Fri. リースの表現定理、ドイツ語、Rust の文字列とハッシュマップ

Rudin の “Real and Complex Analysis” という本を呼んで関数論の勉強をしているのだが、リースの表現定理の証明が少々長い。半分くらい読んだ。コレを読めば  C_c(X) 上の線形汎関数が表現できる。つまりコンパクト台を持つ複素数値連続関数の正値線形汎関数を表す測度が存在する(すなわち線形汎関数積分を同一視できるような測度が存在する)ということが言えるので、早く証明を理解して、安心して積分ができるようになりたい。

あとはドイツ語を少し勉強して、 Rust の文字列とハッシュマップのセクションを読んだ。他の言語でいうところの連想配列(キーと値のペアの集合)を取り扱うところ。概念はわかりやすかった。

2021-11-13 Sat. 甥っ子が熱出したので看病したので今どきのキッズ YouTuber 、特に少年革命家ゆたぼんに対する不安を書く。

3歳半の甥っ子が熱を出したので1日看病していた。まあ座ってお腹に乗せながらテレビを見ていただけなのだが。ずっとだるそうにしていてかわいそうだったので、今日は YouTube で見たいという動画を見せていた。幼児の見たがる動画は大人にとってはそれほど面白くないので、いつもは「どうぶつ奇想天外」とか、大人もそれなりに楽しめて、子どもにも勉強になる動画を見るようにしている。

特に素人が子どもが遊ぶ動画を映しているような動画が山ほどあって、甥っ子はそういうのを見たがる。他の幼児が遊んでいるのを眺めてるのが幼児的に面白いのだろう。子どもがおもちゃの変身ベルトで変身ごっこをしている様子を撮影し、雑な編集をして適当にアップロードしたような動画なので、大人にとっては正直見るに堪えない。しかし子どもたちが何度も同じ動画を見ているのだろう、何千万・何億回も再生されている動画が多い。YouTube の収益化の仕組みを理解していないのだが、どれだけ稼いでいるのだろう。確かに売れっ子のキッズ YouTuber はいい家に住んでそうな感じはする。

キッズ YouTuber に感じる見世物小屋あるいは動物園のような悲愴感

ところで、まだ自身では正常な判断力のない子どもの映像を、親が半ば勝手に全世界に公開して見世物にしている状態なのだと考えると、見るのが辛かった。よくテレビでは子役時代にいじめられていたというようなエピソードを見聞きするが、YouTube に出演している子どもたちに対してはそういう陰湿ないじめはないのだろうか、と少し心配になる。まあ今どきは YouTuber ならむしろ子どもたちの間ではスター的な扱いを受けているのだろうか。

不登校児ゆたぼん

いじめの問題もあるが、本人の情緒の発達や、人生に必要な知識を獲得するのにも幾許かの障害があるようなケースも発生している。

以前、「少年革命家ゆたぼん」という不登校の少年 YouTuber が、自分の不登校を正当化していたが、子どもには当然ながら常識や知識がまだ備わっていないので、積極的な不登校を拙い理屈で正当化した時点で周りの大人が止めなければならない。なかには、いじめなどの解決困難な人間関係の問題により不登校になる子どももいるので、それはそれで周りの大人あるいは行政が救済するべきことではあるが、ゆたぼんが積極的に不登校になった理由は「先生の言うことを素直に聞く周りの子どもがみんなロボットに見えたから」らしい1。さらに、不登校を決意する決め手になったのは、「宿題をすることを拒否したら休み時間や放課後にさせられた」ことであるらしい。

それはさておき、自分が理不尽に思えることを聞きたくないから学校をやめるというのはあまりに性急な判断だ。まず、子どもにとって必要な指示でも、単に子どもの判断力や理解力が不足しているせいで理不尽に思えてしまうことがあると思う。

例えば、「ちゃんと歯磨きしなさい!」という指示でさえも、子どもの判断力だと「面倒くさいのに歯磨きとか風呂とか小言ばっかり言ってくるんだ。ぼくはいつも怒られる。理不尽だ」という判断になりかねない。

私は幼少時、折り紙でナイフを作り親の前で「自殺ごっこ!」と言って折り紙のナイフを自分に刺したら親にすごい剣幕で怒られたことがある。当時はなぜ怒られるかわからず、ふてくされていたが、大人になり判断力が備わった現在では、そんな笑えないごっこ遊びに対して注意するのは当然のことだと思う。子どもの自殺などという親にとって一番考えたくないことを親の前で笑いながら意味も理解せずやっていたら怒るに決まっている。それでも子どもの時分には怒られたら全て理不尽に感じられるものだ。ときには本当に理不尽なことをいう教師もいるだろうが、基本的には必要だからしている指示であり、しかもそれを素直に聞き入れるのは別にロボットのすることではない。

子どもは悪くない

しかし、子どもに判断力がないのは単に年齢が低く人生経験が少ないからであって、ある意味本人の問題ではない。それよりも、そんな子どものわがままを正当化し、おだてて、あまつさえカメラの前で喋らせて YouTube で全国公開してしまう親は本当に子どもの人生の幸せについてちゃんと考えているのかと思う。ホームスクーリングなどで人生に必要な常識や教養はしっかり身につけているのだろうか。まあ田舎の場合などは特に学校の授業が当てにならないような部分は確かにあるので、お金があるならそれでもいいかもしれないが。

動画撮影の技術と、それに伴って培われたコミュニケーション能力という2つだけで人生を送るのには十分だと考えるのは正直、短絡というか博打に近いと思う。あるいは実験。

若き天才と若き凡人。

若くして注目されるのはほんの一握りの天才だけだった。いまだと将棋の藤井聡太や野球の大谷翔平だろうか。しかし、彼らはきっとこれから「若手」と呼ばれない年齢までも活躍し続けそのうち「レジェンド」になるだろう。若さというのは副次的なもので、彼らにはそれ以前に誰にも真似できない能力が備わっているという点で注目に値する価値があり、結果として富が集中する(彼らは金自体にはそれほど興味を持っていなさそうではあるが)。

だが、ゆたぼんは今のところ若いだけの人だ。「学校に行かない」という、誰にでも実行可能だが誰もやらないだけの奇妙な行動をとっているだけだ。大衆は彼をまるで珍獣を見るかのように扱い、賢しらな人間は彼からいくら金を生み出せるかということを考えるだろう。 しかし、ゆたぼんのもつ「若さ」という価値のひとつは時間が経てば消滅する。彼が大人になったとき彼に残るのは SNS のフォロワーとコミュニケーション能力だけになりかねない。フォロワーは次第に失われていく。そして、必要な勉強をせずに YouTube だけで生きてきた空洞のような人間のコミュニケーションは誰も必要としなくなるだろう。いずれ来るその時に向けて、あるいは何か他にやりたい夢を見つけたならば、彼は準備をしなければならない。そのとき彼を支える幹になるのは知識や教養だ。しかし、その幹が細ければ彼もまた賢しらに生きざるを得ない可能性がある。

怪文書から導かれた当然の帰結

親を含めて、周りの大人は、彼をもてはやして使い潰すような真似はせず、彼の意思を尊重しつつもいずれ来るその時に向けてしっかりと準備をするサポートをしてほしい。すでにきちんとした教育を実は受けさせているとしたらこれはただの怪文書になってしまうのだが、むしろそれが私の望むところでもある。


  1. まず、素直に先生の指示を聞いているだけの周りの人をロボット呼ばわりして公開している時点で誰かが注意するべきことだと思う。